ITが作り出す世界は無法世界でもないし非社会的な場所でもない

ITmediaニュース:支給iBookで管理者を出し抜いた米国の高校生、訴えられる
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0508/10/news104.html

生徒らは、「自分たちが間違ったことをしていると十分承知していながら、そうした行為を重ねていた」とタッカー氏。「親たちは、われわれが彼らの創造性に見返りを与えるべきだという考え方を示したが、そんな理屈は通らない」

タッカー氏の言う通り「創造的な手法をもってシステム管理者を出し抜いたこと」を褒めるべきではないし、見返りを与える必要も無い。
昨今取り沙汰される振り込め詐欺のように、社会や法のスキをぬって他人のリソース(金銭や物品や情報など)を奪うことは、そこに創造性があったとしても許されるわけではない。
恐らくこの無茶な訴えをする“親たち”は、振り込め詐欺に対しては嫌悪感を抱くだろう。であれば“親たち”は子供たちが行った“IT的な創造性を持つ反社会的な行為(この場合は学校の規則)”も同等に嫌悪感を抱くべきであると理解しなければならない。

私は人の親だが、もし子供がこのようなことを行った場合、叱る。そして、見つけてしまったセキュリティホールを友人と共有するのではなく、情報システムの管理者に手法もあわせて伝えるように教育する。

この話題に限らず思うが、IT的な手法でIT的な“立入禁止”区域に入ることを咎めない人達が多い気がする。例えば空地に立て看板で“立入禁止”と書いてあれば、例え容易に徒歩で入り込める場所であっても入ることを躊躇するだろう。入る人も少ないだろう。
ITで作られた空間であれば、非社会的な行為や法律・一般常識に触れる行為でも“創造性”があれば許されるであろうという考えを持つ人間がいることが怖い。

蛇足となるが、上記のような批判は行為に対して注目されるべきであり、道具に対して行われるべきではない。
道具に対しては“行為が行われないような施策を行う”べきであり、道具そのものを批判すべきではない。
もちろん、その道具そのものが悪意をもって作られたのであれば別ですが。